井上十吉の業績は、石川遼 英会話がなかった時代の辞典づくりだけではもちろんありません。
翻訳では『英文忠臣蔵』(1894)、『日清戦争史』(1896)、『東京生活のスケッチ』(1896)、さらに下っては『英訳東郷元帥伝』があります。
磯辺弥一郎氏も「井上氏の著書として西洋人に最も愛読されたものです。
これは、「井上氏の著書中恐らくはこれが白眉だろう。
氏の英文の特色は最も能く此書に顕われているが今は絶版である。
此外に英文大和魂と題する雑誌を発行したこともあった。
これは日本の武士道を外人に紹介するを以て主眼としたものであった」・・・と述べています。
井上十吉はその個人としての生活を眺めても中々の日本越味の人で、とくに義太夫がすきで時
時うなっていたそうです。
書斎や普通の部屋も洋式ではなく日本風のものでした。
建築学の東海大学教授菊池重郎氏が常に言われていることですが、明治・大正の英学者を眺める上において、その住んだ住居、特にその書斎が和式か洋式かを調べることは一つのおもしろいアプローチでしょう。
もちろんこれには経済問題が大きく影響していたでしょうが、そのような考慮をはずせば、その英学者の越味とか個性とかがその環境の一つである住居からある程度うかがわれるのではないでしょうか。
静かな井上十吉の中に意外にも強い愛国心が存在していたことは彼が排日の色調の強かったジャパン・ガゼット社を飛び出したことからだけでもよく分かります。
この点神田乃武はどういうものであったのでしょうか。
私には神田乃武ははるかにインターナショナルの色彩が強かったような気がしてなりません。
これには井上十吉と神田が幼くしてその教育を受けた英国と米国の相違もあるでしょう。
さらに井上十吉の父で幕末において勤王の志士として活躍したあのはげしい性格の持主であった井上高格と能楽師を以て代々徳川幕府に仕えた神田乃武の実父松井永世とからの血の相違があったかもしれません。